見えにくい傷 — 女性から男性へのDVという現実


私たちは「DV=男性から女性へ」という固定観念を持ちがちです。しかし女性から男性へのDVも確かに存在します。暴力に性別はなく、支配と孤独の問題は同じなのです。男性被害者の声なき叫びに耳を傾けること、それも神様の愛を伝える大切な使命です。
女性から男性へのDV。このテーマを語ることには勇気がいります。
なぜなら、この問題を語ると「男性の被害などたいしたことはない」「女性の方が圧倒的に被害者だ」という反発が返ってくることがあるからです。
しかし、暴力は暴力です。 傷つくことは傷つくことです。
魂の痛みに性別はないのです。
見えない痛み、語れない苦しみ
男性被害者の最大の問題は、声を上げられないことです。
ある男性はこう語りました。
「妻に殴られても、蹴られても、誰にも言えませんでした。『男のくせに』と笑われるのが怖かったんです。警察に相談しても『喧嘩でしょ』と取り合ってもらえませんでした」
男性は「強くあるべき」「男らしくあるべき」という社会の価値観に縛られています。そして、自分が暴力の被害者だということを認めることは、その「男らしさ」を否定されることだと恐れてしまうのです。
しかし、暴力から逃れることと、男らしさは何の関係もないのです。
言葉の刃、心の暴力
女性から男性へのDVで多いのは、言葉による暴力です。
「稼ぎが少ない」 「他の男性と比べて劣っている」 「男として失格だ」
この言葉がどれだけ人を傷つけるのか、わかっていて使われるのです。
男性の多くは自分の価値を「仕事」や「稼ぎ」に見出しています。そこを攻撃されることで、自己肯定感が徐々に削られていくのです。
ある男性はこう語りました。
「毎日『お前はダメな男だ』と言われ続けていると、本当にそうなのかもしれないと思うようになるんです。仕事も家庭も、すべてがうまくいかなくなりました」
孤立させる支配
女性加害者も、男性加害者と同様に相手を孤立させます。
「あなたの友達とは会わないで」 「親とは連絡を取らないで」 「私の許可なく外出しないで」
少しずつ、社会とのつながりを断ち切られていくのです。
男性はこうした状況を「妻を大切にしている証拠」と思い込もうとします。 「彼女が望むなら」と、自分の自由を手放していくのです。
気づいた時には、助けを求める相手がいなくなっています。
「男は泣くな」の枷
男性被害者が苦しい立場から抜け出せない理由の一つは、社会の無理解です。
「男のくせに泣くな」 「男なんだから我慢しろ」 「かわいそうな男性なんていない」
こうした言葉が、被害者の口を閉ざします。 自分の痛みを認めることすら、恥ずかしいことだと思わされてしまうのです。
私が出会った男性被害者は、こう語りました。
「誰にも信じてもらえなかった。『お前が我慢すればいいじゃないか』と言われるだけだった。でも、魂が死にそうだった」
魂の奥にある同じ問題
実は、女性によるDVも、男性によるDVも、根源は同じなのです。
それは「寂しさ」です。 相手を支配することで、自分の存在を確かめようとする。 相手を傷つけることで、自分の力を感じようとする。
DVの加害者の瞳の奥には、いつも寂しさが潜んでいます。 男性でも女性でも、その寂しさから逃れるために支配という手段を選んでしまうのです。
でも、それは永遠に埋まらない穴を掘り続けるようなものです。
癒しの道と神様の愛
どうすれば、この連鎖を断ち切ることができるのか。
被害者である男性には、まず自分の痛みを認めることから始めてほしいと思います。 「男だから我慢すべき」ではありません。 暴力から逃れることは、誰にでも与えられた権利なのです。
そして加害者である女性には、自分の行為と向き合う勇気を持ってほしいと思います。 支配では、決して満たされない。 本当に必要なのは、共感と対話なのだと。
私は取次師として、どんな立場の方の苦しみにも寄り添いたいと思っています。 男性だから、女性だからという理由で、その痛みを軽んじることはありません。

どうか一人で抱え込まないでください。 あなたの声なき叫びに、神様は必ず応えてくださいます。