正義の名の下に許される暴力 — 更生の難しさとその可能性

hosokawa
展信先生
展信先生

DVの問題に向き合うには、加害者の心理を理解することが不可欠です。この記事では、DV加害者の心の奥底にある「正義感」の歪みと、真の癒しへの道筋を探ります。

「暴力」と「正義」の複雑な関係

DV加害者は「暴力が悪い」ということを知っています。 人の暴力には人一倍反感をもつ場合もあります。 正義感はもしかすると、人一倍あるかもしれません。 自分が正しいと信じることは、一歩たりとも譲らない。 それは一見、いいことのように思います。

しかし、正義感というのは怖いものでもあります。 正義があるということは、反対に「不義」がそこにある。 「不義」、道から外れたもの、正さなければならないもの、許してはおけないもの。 簡単にいえば、DV加害者にとっての「敵」が目の前に存在することを意味します。

敵がいなければ、正義を主張することもないでしょう。 敵がいるから、我が正義を主張するのです。

正義の名の下に許される暴力

正義のもとに、何が行われるか。 「敵を徹底的に打ちのめすこと」が行われます。 正義は時に、正義の名のもとに暴力を許します。 我こそは正義とおもうその心の危険を感じずにはおれません。

DV加害者は正義感が強い。私はそう感じます。 正義感の名のもとに、自分の暴力は「正当化され」「その残虐性からは目が背けられ」「あらゆる反論、救いを求める声に知らないふり」ができる「特権」を得たように感じるのです。

歪んだ正義の思考回路

そういう思考回路の中、DV加害者は「自分は一般的な常識を人一倍わきまえている」と自負しています。だから、正義の逆をいく、不義=道をわきまえない人(DV被害者)を正してやらなければならないという使命、正義感を担ったと勘違いをするのです。そしてDV加害者は正義の鉄槌を下します。

DV加害者の心の声:

  • 俺は正しい。
  • お前は間違っている。
  • だから俺はお前を正してやる。
  • 暴力?暴力は悪いことだ。
  • 俺は暴力ではない。正義だ。
  • お前のためだ。
  • 正してやる。

そういう思考回路です。

DVの現実:隠された統計

「日本では今も3日に1人ずつ、妻が夫によって殺されています」

この統計は氷山の一角です。内閣府の調査によれば、日本の女性の約3人に1人が配偶者から何らかの暴力を受けた経験があると報告されています。しかし、被害の多くは表面化せず、相談に至るケースはその一部に過ぎません。

この数字は警察庁の犯罪統計に基づいています。警察庁の「令和4年犯罪統計」によると、2022年の殺人事件の認知件数は874件で、そのうち親族間での殺人は約半数を占めています。配偶者間の殺人では、被害者が女性(妻)のケースが男性(夫)のケースよりも多い傾向が見られます。

過去の統計では、年間約120~130件程度の妻が夫によって殺される事件が検挙されており、これを365日で割ると「約3日に1人」という計算になります。この数字は年ごとの変動や集計方法によって若干異なる可能性はありますが、配偶者間殺人が一定数存在する事実は変わりません。

さらに内閣府の調査によれば、日本の女性の約3人に1人が配偶者から何らかの暴力を受けた経験があると報告されています。しかし、被害の多くは表面化せず、相談に至るケースはその一部に過ぎません。これらの統計は、DVの問題が決して他人事ではなく、私たちの社会に根深く存在していることを示しています。

更生の難しさとその可能性

こういう有様ですから、DV加害者の更生は難しいといわれています。 自分を改まる機会を「正義」は残酷なまでに奪います。 「正義」は罪の意識をご破産にし、高揚感さえ与えます。 「生きている」…そういう実感さえDV加害者にもたらします。 暴力をとめることは難しい。

しかし、方法がないわけではありません。 DV加害者は、正義にかわる価値観を知らなければなりません。 それは「愛情」です。 相手を敬い、守り、慈しむ心。励まし、包み、支え、喜ぶ心。価値観。 その愛情を学びながら、自分の正義から手を離す稽古が必要になります。 ぎゅっと握りしめた「正義」を手放すことは、大変な勇気をともないます。

暴力の裏に隠れた恐怖と孤独

DV加害者のその握りしめた拳を開くと、そこには「怖い」と書かれています。「寂しい」と書かれています。 暴力をせざるを得ない人生を歩んできた。 暴力をせざるを得ない今を生きている。

生きるという恐怖と寂しさに、うちふるえていた弱い自分をどうにか立ち直すために、「自分は正しい」「相手は間違っている」という「正義」という武器を手にしてしました。自分の正しさを主張するために、あらゆるものを使って、被害者を蹂躙してきました。

DV加害者が用いる暴力には、さまざまな形があります:

  • 人を守るために与えられた腕力で、肉体的に殺す。
  • 敬うべき命の存在を意図的に、愚弄、侮辱し、性的に殺す。
  • 金銭を出し、惜しみ、止め、経済的に殺す。
  • 怒鳴り声と執拗な人間性の否定で恐怖を植えつけ、精神的に殺す。

…ときに休息をあたえ、生かさず、殺さずして、殺す。

暴力のサイクルとその結末

地面にひれ伏す被害者をみて、「俺は正しい」と確認し「安心」を得ます。しかし、この「安心」は一時的なもので、生きるという恐怖が和らいだ後、恐怖は再びやってくる。そのスパンは徐々に短くなる。もっと「安心」が欲しい。「安心をくれ」と暴力はエスカレートしていく。

気づけば警察に腕をつかまれている。ぼーっとした視線の先に、血まみれの被害者がうめき声とともに横たわっている。

真の更生への道筋

DV加害者が更生するには、自分よがりの正義感を手放す必要があります。これは本人にとって、とても辛いことです。勇気がいることです。蓋をしていた「寂しい」「怖い」という気持ちが一気に溢れ出してきますから、「死にたくなる」それは当たり前の感情でしょう。

だから、神様が必要なのです。 だから、取次師が必要なのです。

受容と癒しの力

今まで、DV加害者は心の奥底を誰にも話してこなかった。なぜなら:

  • 話せる人がいなかった
  • 話したら否定された
  • 話したら攻撃された
  • 話すことが許されなかった

その今までだれにも話せなかったこと。誰にもうけいれてもらえなかったことを、神様に、取次師に聴いていただくのです。

「あなたは駄目な人間ですね」なんて、神様はおっしゃいません。ただただ「あなたはかわいい神様の子ども」なのです。 DV加害者は初めて受け入れられるという体験をします。初めて「本当の安心」を手にします。歪んだ正義を手放しても、大丈夫(#^^#)そう思えてくるのです。

これからは「暴力」を頼りにせず、「神様」と「先生(取次師)」を頼りに生きていくのです。それが出来るのが金光教のお取次(おとりつぎ)なのです。

周囲の人ができること

DVの問題は当事者だけの問題ではありません。周囲の人々も重要な役割を担っています:

見て見ぬふりをしない: 兆候に気づいたら、適切な支援機関に連絡を
批判より理解を: 加害者を単に非難するのではなく、更生の可能性を信じる
専門家との連携: 個人の力だけでは解決できないことを理解する
被害者の安全確保: 何よりも被害者の安全を最優先に考える

新たな人生への第一歩

人生をやり直したい…、遅いということはありません。変化は可能です。

変化への具体的なステップ:

  1. 自分の問題を認める勇気を持つ
  2. 専門家の支援を求める(相談窓口や教会など)
  3. 自分の感情と向き合い、正直に表現する練習をする
  4. 新しい価値観と行動パターンを学ぶ
  5. 日々の小さな変化を積み重ねる

そういう変化を望む方の参拝を私はお教会で待っております(^^)

自己紹介
細川展信先生
細川展信先生
取次師
はじめまして。私は家庭内暴力・DV問題に取り組む取次師として活動している細川展信(ほそかわ ひろのぶ)と申します。長崎県平戸市出身の43歳。現在は妻と共に苦しんでおられる方のお話を聴かせていただいております。 私は「家庭内暴力・DVからのたすかり」を人生の使命として、これまで数百人もの危機的状況にある方々のサポートに携わってきました。「もう生きていけない」「この状況から逃れられない」と絶望の淵に立たされた方々の声に真摯に耳を傾け、具体的な脱出・回復への道筋を提示することを心がけています。 暴力の現場に立ち会い、その痛みを間近で見てきた経験から、私は声のトーンや話し方にも細心の注意を払っています。低く落ち着いた声でゆっくりと話すことで、トラウマを抱えた方々が少しでも安心して相談できる環境づくりに努めています。 故郷・平戸の強いツツジのように、どんな逆境にあっても人は新たな人生を咲かせることができる—この信念のもと、被害者の方々の自立と尊厳の回復をサポートしています。 このブログでは、DVや家庭内暴力から脱出するための具体的方法、心の回復プロセスなど、実践的な情報を綴っていきます。どなたか一人でも、この情報が命綱となることを願って。 あなたは一人ではありません。必ず助かる道はあります。
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